兼定荘

兼定の脳内アパート

何故かRPGができなくなっていた話

 いつの間にか、RPGに苦手意識を持つようになった。最初の2,3時間だけプレイして、その後放置してしまう事が多くなった。カラオケでAメロの最初の一節だけを歌って『演奏中止』を押すが如く、そして曲が短すぎて採点結果が表示されないように、僕はゲームに対してあれこれ評価する事も出来ない段階で、先にプレイを続ける気力を失ってしまうのである。

 昔はそんな事なかった。買ったRPGはきちんとクリアしたし、その後のやり込み要素も思う存分堪能した。名作とか駄作とか、世間的な評判なんて知る由もなく、ただただ自身が「欲しい」と思ったゲームを手に入れたという事実に高揚感を憶え、その熱気のままにゲームに没頭した。

 ゲーム自体は今でも大好きだ。舞台は専ら基本無料のアプリゲームに移行しているものの、それは単純に貧乏なだけで、過去に購入した家庭用ゲームもしばしば遊んでいる。しかしどうしてか、積みゲーと化した死屍累々のRPGには触れる気が起きない。

 なかまに なりたそうに こちらをみても ドライな ぼくが そこにいる。

 例えば「ゲームを買った事に満足してしまい、実際にプレイする意欲がなくなる」という物欲重視の考え方も全く当てはまらないわけではないのだけれど、如何せん別ジャンルのゲームはそれなりに楽しんでしまっている辺りが、話を微妙にややこしくしている。何より僕は、決してRPGを嫌いになったわけではないのだ。

 この心境の変化は、一体どこから生まれたのか。「考える人」にならって石の上に座り込み、右ひじを左ひざに当てがって思索に耽れば、何か閃くだろうか。

f:id:kanesada0130:20180419142858j:plain

 ストレッチしてるみたいな体制なので、割と肉体的にはスッキリする。けどこの人、石の上に100年以上座ってるのに何も報われてないよね。

 さておき、ストレッチ開始数分にして、僕は考えるのをやめた。今度はジョジョ2部における究極生命体にならう事により、ロダンパスカルを一度に否定する事に成功した。

 ……いや、真面目に考えてもよく分からないのだ。そもそも真面目に考える必要もないのかもしれないけど。「味覚の変化みたいなモン」だと結論付ければ楽なものだ。

 RPGを純粋に楽しんでいた昔、そしてできなくなった今。RPGはハードの進化に伴って、より美麗なグラフィック、緻密なゲームシステム、重厚なストーリーを楽しめるようになった。それは基本的にRPGに限らずゲーム全般に言える事だけど、一本のソフトに込められた情報量が最も多いのは、やっぱりRPGじゃないだろうか。一方で、当時は心身共にフレッシュな学生だった僕は、今やくたびれたフリーターだ。強いて違いを挙げるならそこだ。

 察するに、コペルニクス的転回である。僕はRPGを最初の2時間プレイして、飽きるのではなく寧ろ満足してしまっているのではないだろうか。2時間の情報量で、脳のキャパシティが限界を迎えたのではないだろうか。

  学生の頃に比べ頭を使わなくなって、脳細胞が死滅したのだろう。僕は昔よりアホになり、たった2時間でRPGを堪能できる体質へと変化を遂げたのだ。もしかしたら僕は本当に究極生命体になったのかもしれない。

 

 結論。僕は考える力を失った。